大和魂はいけない
今日はマンションのジイさんたちの飲み会だった。
ジイさんたちだから話題は尽きなく・・・高校野球の話も出た。
1人の投手に限界を超えて投げさせることの是非も俎上に上った。
私はスポーツはよくわからない。まして野球はわからないけれど、1人の若い選手の将来を潰してしまうような使い方はおかしいと思う。
ジイさんの1人は(郷里が秋田でもあり)、それはかまわない、という。
選手本人はもとより、監督だってその場に立てば、心を鬼にして投げさせるだろう。
だからこそ、投球数何球に達したら投手交代というルールで冷徹に、無理を回避するべきではないかと思う。
それを現場の判断に任せるというのは、日本社会のズルさであり、いまだに大和魂を愛でる発想だと思う。。
相撲で言えば、古くは貴乃花の優勝決定戦。最近でも稀勢の里の無理な取り組み。
あのような、後先かまわない、特攻隊のような勝負を美しいと思う大和魂はもうとっくに卒業しているべきなのに、ぜんぜん反省がない。
そんなジジイはさっさと滅びないといけない。
私は「同期の桜」の心意気を理解できるし、悔しいけど美しいと思う。それは人間の同胞愛に根差す普遍的なものだ。
だけれども、それをよしとしてはいけないのだ。盲目的な同胞愛が戦争を起こさせるのだから。
貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため
このような価値観は心では酔っても、頭で否定しなくてならない。
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